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白血病になった社長 患者になって気付いたMRの課題

弊社代表の昌原が2012年に白血病になり2014年に社会復帰、闘病中の2年間を、
患者の視点から今の医療、病院についてありのままを伝えるレポート

第5回 頼もしい子どもたち

「急性リンパ性白血病(ALL)」の診断を受けて入院した私の化学療法がスタートとしたのは13年1月4日でした。

前回、化学療法の内容などに触れましたが、今回は化学療法が始まる前の葛藤、そして子どもたちとの会話について、お話したいと思います。

私の病気である成人ALLの30~50%にフィラデルフィア(Ph)染色体異常が見られるそうです。
これは22番染色体と9番染色体間の転座によって異常なBcr-Ab1タンパクがつくられ、造血幹細胞を無秩序に増殖させるというものです。
このタイプは通常の化学療法で白血病細胞を減らせたとしても、5~9ヶ月後にはほとんどの人が再発してしまうと言われています。
それほど厳しい疾患です。
治療は分子標的治療薬を含む化学療法を行い、可能な限り白血病細胞をゼロに近づけたうえで、骨髄移植をする臨床試験への参加を勧められます。

そして、私もこのPh染色体陽性のALLでした。
医師から「よく読んでおくように」と渡されたA4サイズ12頁の説明書は、読めば読むほど気が滅入る厳しい内容です。
ベッドに放り投げたこともありました。

また、インターネットで手当たり次第、情報も集めました。
さらに詳しく知りたかったからと同時に、実は説明書には書かれていない明るい情報もあるのではないかという、願望というか逃避にも似た気持ちも、情報を収集した理由だと思います。
「ふぅ……」
しかし、その都度落ち込み、天を仰ぐばかりでした。

固形がんの生存曲線は緩やかに下がっていきます。
ところが、ALLの場合、移植後に生存率がガクンと落ちてしまうので、5年生存率が50%を切っていたからです。
「確率は半分もないのか……」

そんな葛藤のなかで、化学療法に先行して「ブレドニン」を1日合計100mg、服用を始めました。
普通では考えられないほどの量ですが、白血球数を減らすためです。
実際、入院時には3万/µl近かった白血球数が、3日目には2万/µlにまで減少しました。
次第に熱も下がって胸の痛みもなくなり、病院のなかを歩き回る余裕さえ出てきました。
じっとしていると嫌なことばかり頭に浮かぶので、動けることは少し救われた気分でした。

化学療法が始まる2日前の1月2日。家族が見舞いに来ました。
「明けましておめでとう」
新年に何十年も使ったこの言葉を発することに、これほど葛藤を覚えたときはありませんでした。
それでも、子どもたちの前では毅然としていたい。
子どもたち2人とも高校受験を間近に控えており、難しい時期だったからです。

「すまない」
心のなかで謝りながら、自分が知り得た病気のこと、これからの治療のことを包み隠さず話しました。
家族は黙って聞いています。

少しの沈黙のあと、長男が口を開きました。
「お父さん、この病気遺伝するの」
もちろん、そう考えるのも無理のないことです。
本音を言えば、私への労いや慰めの言葉でなかったことに寂しさを覚えたのは事実です。
しかし、病気と立ち向かおうとする私の目の前で泣きじゃくられてしまったら、どうだったでしょうか。
私はもっと辛い思いをしたのかもしれません。
そう考えると10歳代の子どもたちが、自分なりにこの重大な事実を受け止めようとしている姿に成長を感じ、頼もしくありました。
私は勇気をもらいました。

医薬経済 2015/6/15

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