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白血病になった社長 患者になって気付いたMRの課題

弊社代表の昌原が2012年に白血病になり2014年に社会復帰、闘病中の2年間を、
患者の視点から今の医療、病院についてありのままを伝えるレポート

第11回 生死を彷徨いながら感じたこと

骨髄移植後に襲った激痛、カビが生えたように真っ黒な状態となった口内炎、下痢と頻尿――。
私の精神状態は限界まで達しました。
そんな時期に忘れることができない出来事が2つありました。

まずは「カロナール」の服用を巡る一悶着です。

ある日の夜半のこと。
口内炎が痛くてたまらず、まったく眠れません。
そこで看護師さんにカロナールをくれるように頼みました。
ところが、「昌原さん、もう効かないから」と言って取り合いません。
そんなやり取りが2度ありました。

私はイライラしていました。
実は医師から1日合計2500mgまで、カロナールの服用許可をもらっていたからです。
ご存じのように、鎮痛薬としてのアセトアミノフェン(カロナール)はNSAIDs(非ステロイド性抗炎症剤)に比べて作用がはるかに穏やかです。
血小板が減少している我われ移植患者はNSAIDsが使えないので、効きも限界があるのは百も承知ですが、たとえ、プラセボであろうと頼りたいときでした。
それなのに看護師さんは渋るのです。
「いいから、出してくれ!」
それまで看護師さんに感謝こそすれ声を荒げたことなど一度もありませんでしたが、このときばかりは怒りを抑えることができませんでした。
看護師さんは目を丸くしていました。

「痛みはなかなか理解されない」
患者の気持ちに寄り添うことの難しさを改めて痛感しました。

そして移植から2週間後。あの10月15日を迎えました。
「うっ……。うぇ!」
口のなかにできた血の固まりが突然剥がれて、激しく吐血しました。
ポータブルトイレのなかのバケツは、吐いた血で真っ赤になりました。
さらに血の塊が食道と気管の間に詰まって呼吸困難を起こしたのです。
しばらくすると7~8人の医師が心配そうにベッドを囲んでいました。
本当に危険な状態でした。
医師は覚悟してほしいと、母と弟を呼んでいました。

とにかく全身が痛くて、なぜ血が出ているのか、なぜ呼吸困難になっているかさえ最初はわかりませんでした。
苦しいけれど意識のある状態が続きます。
それでも「最悪の場合、挿管すれば呼吸はできる」と言い聞かせました。

吐血から約3時間後、耳鼻科の医師が内視鏡を病棟に運び込み、2人がかりで血の塊をつまみ出して、事なきを得ました。
ただし、白血球数が10~20/µlの頃なので、肺炎を起こせば命取りになります。
翌日、直ちにCT検査が行われました。

後日、医師のひとりがしみじみと私に話しました。
「通常、大きなヤマを迎えたときに越えられない方もいます。昌原さんはCMV網膜炎と今回の呼吸困難とすでに2つのヤマを乗り越えています。そういう人は実はあまりいないんです」
このときばかりは、自分の強運と生命力に感謝しました。

ところで、この入院の間にもうひとつ気になったことがあります。
移植後はとにかく皮膚が乾燥するので保湿が必要です。
私は薬剤師さんから説明を受けて、ヒルドイド軟膏とステロイド軟膏にビーソフテンローションを混ぜて伸びをよくしてから全身に塗っていました。
ところが、同時期に入院した人たちは使い方を知らなかったらしく、処方された軟膏を塗っていませんでした。
説明を受けても忘れてしまったのかもしれません。
患者さんの病状や年齢、バックグランドはさまざまです。
一度にいろんなことを言われても、必要な情報がすべて記憶に残るとは限らないのかもしれません。 このことを深く脳裏に刻みました。

医薬経済 2015/9/15

利用許諾番号Z32248

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