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白血病になった社長 患者になって気付いたMRの課題

弊社代表の昌原が2012年に白血病になり2014年に社会復帰、闘病中の2年間を、
患者の視点から今の医療、病院についてありのままを伝えるレポート

第12回 生きているということ

13年10月1日の骨髄移植後は口内炎や下痢に伴う激痛に苦しみ、2週間後の15日には吐血、呼吸困難を起こし、またしても危機が私を襲いました。
骨髄移植で好中球数が500/µlを超える状態が3日間程度続くと「生着」と見做され、移植された細胞が造血機能を発揮し始めたことになります。
ところが、吐血騒ぎもあってか、通常2~3週間の生着予定期間を過ぎても、その兆候が見られません。

医師は状況を説明してくれますが、不安は日に日に高まっていきます。
そして、とうとう再移植の検討が始まりました。私は心のなかで呟きました。
「あの地獄の日々がもう1ヵ月続くのか」

さすがに憂うつになります。
心身の葛藤と闘いました。
粘りに粘りました。
すると移植から4週間後に白血球が増え始め、11月2日に「生着」の判定が下ったのです。
白血球数も2~3日後には2400~3300/µlになっていきました。

生着が確認されるやいなや、徐々にトイレの回数が減っていき、口内炎もよくなって、一気につらさが薄れていきます。
今でもそのときに口に入れた「水一滴のおいしさ」の感動を忘れることはできません。

その後は、ゼリーを口にし、少しずつ食事も摂れるようになっていきます。
コンビニエンスストアで売っている電子レンジで温めるうどんやラーメン、スパゲティを食べることができました。

中心静脈(CV)から栄養輸液を入れている間はシャワーを浴びることしかできません。
食事ができるようになって、CVカテーテルが外れ、湯船に浸かれたときは「はぁ~、生きててよかった」と心底思いました。
トイレに行き、歯を磨いて、風呂に入るという、当たり前の生活ができることがこんなにもありがたいのかと、改めて実感しました。

生着が確認されて1ヶ月が経過した後、一時外泊を経て、12月13日に退院することができました。

血小板数がすぐに下がってしまうので、退院後もしばらくの間、週に2~3回は病院に通っていました。
朝一番で採血をして、その結果によって「赤血球と血小板」か「血小板」の輸血を受けます。
多いときは週1回、輸血は14年5月中旬くらいまで続きました。
血液内科のほかにも皮膚のかゆみで皮膚科、抗がん剤の副作用である「知覚過敏」と口内炎後のケアのために歯科、さらに眼科も併診していたので、朝から晩までかかることもありました。

退院直後にCMV網膜炎が再燃します。
骨髄抑制の副作用のある「ガンシクロビル」は移植後使えないので、「ホスカルネット」の投与を始めますが、腎機能が低下してすぐに使えなくなります。
そこで、ガンシクロビルの眼内投与を8回試みました。
一度落ちた視力はなかなか戻りません。

現在(15年9月)もまだ残っている症状は、顔や首すじの大藤病という原因不明の皮膚病と指先と足の裏に残るしびれです。

退院から1~2ヶ月経った頃、同じ病棟に入院していた6人が集まって、食事をしました。
入院中「うまいもの、食いに行きたいね」と話していた戦友とも言うべき仲間です。
ところが、振り返ってみると、同室の患者さんの多くが亡くなりました。
治療成績が格段に向上したとはいえ、白血病がシビアな病気であることに変わりはないのです。

14年5月に、同じ病院で骨髄移植を受けた患者・家族の会に参加しましたが「ここに来られるだけでもラッキーなんですよ」という参加者の言葉が心に滲みています。

医薬経済 2015/10/1

利用許諾番号Z32248

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