白血病になった社長※ - 患者として人生に向き合う

※2015年当時。2016年1月より親会社ACメディカル(株)と経営統合し、現在はACメディカル(株)副社長に就任

2012年の白血病発症後、社会復帰して5年。
その後も続く治療や新たな課題など患者の視点からありのままを伝えるレポートの第2弾

第3回 職場復帰後、白血病細胞が増加

退院後も輸血が必要な状態はしばらく続きました。
何しろ会社の前のゆるやかな坂道でさえも息切れがしてしまって上れないのです。
階段の昇降など論外で、電車にも乗れません。
赤血球や血小板の成分輸血を受けるため、12年12月にフィラデルフィア染色体陽性成人急性リンパ性白血病を発症してから、14年5月中旬くらいまで病院通いが続いたように記憶しています。
副作用や合併症の治療のために、皮膚科や歯科、眼科も併診していたため、診察日が重なると、外来が朝から晩までかかることもありました。
ただ、そうした治療の甲斐もあって、発症から長期間「休職」扱いになっていた会社にも、14年4月頃からは週1~2回、8月に入ると週3回程度、顔を出せるくらいにまで回復していきました。

14年10月16日。この日のことは今でもはっきりと覚えています。
体力も徐々に回復し、通勤にも慣れて、「さぁ、これからだ」と気持ちも新たに仕事に打ち込み始めた矢先のことでした。

この日私は退院後初めて、重要なクライアントのひとつである製薬会社を訪れました。
そこには人事部に勤める高校の同級生女子がいます。彼女はわざわざ迎えに出てきてくれて、病気を乗り越えた私を「よかったね!」と人目もはばからずギュッとハグしてくれました。
嬉しい反面、かなり恥ずかしかったのですが、彼女が私たちの仕事ぶりやMRのことをすごく誉めてくれるので、とてもいい気分になって会社を後にしました。

ところが、です。
カフェで一息ついたときのことですスマートフォンを見ると、妻からものすごい数のLINEが入っていました。

「病院から呼び出しの連絡があったので、すぐに電話して」

気持ちはざわつき、操作の手がなかなか進みません。

「昌原さん、移植後1年目のマルク(骨髄穿刺)の結果がちょっと思わしくなかったので、すぐ来てもらえますか?」

「あぁ......。こりゃ、まいったなぁ」。
どん底に突き落とされました。

病院に着いた私に、主治医は「再発ではないものの、骨髄の中で白血病細胞が増えつつある(=細胞遺伝学的検査で陽性)ので、『スプリセル』の服用を始めましょう」と提案され、その日から治療が始まりました。
この薬は入院中にすでに経験済みで、咳が止まらなかったり、足がむくんだりしたことがあったのですが、案の定、今回も同じような症状があらわれ、2~3週間で服用を中止しました。

そして、前回と同じドナーの方にリンパ球をご提供いただき、1ヵ月後の11月20日に「ドナーリンパ球輸注療法(DLI)」を受けることになったのです。

リンパ球は冷凍保存できるとのことで、DLIは3~4回に分けて行われました。
初回のみ入院することになったのですが、スプリセルが原因だと思っていた咳が実は肺炎によるものだとわかり、1泊2日の予定が6日間の入院になってしまいました。
しかも、たまたま一般病棟に空きがなく、移植のときと同じクリーンルームのある病棟に入ることになりました。

ただ、今回は特別つらい症状があるわけではありません。やや余裕のある立場で改めて病棟の様子をうかがうと――フロアには女性の患者さんも男性と同じくらいいらっしゃるのに、「痛い」「苦しい」「助けてくれ」と唸っているのは皆男性で、とにかく一晩中ナースコールが鳴っているのです。
かつて自分もその1人だったことはすっかり棚に上げてしまって、「男は我慢が足りないのかなぁ。やはり女性は痛みに強いのかなぁ」としみじみ感じ入ったのでした。

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